こんにちは、SORESEKAこと「それは、世界遺産がきっかけだった。」編集長のMamiです。
先日、世界遺産「マカオ歴史地区」を1日で踏破してきました。
そこで、この記事では世界遺産「マカオ歴史地区」の構成遺産30ヶ所を1日で観光するルートをご紹介します。
と〜ても長い記事ですが、このページを印刷もしくはブックマークしていただければ、下調べすることなく、マカオの世界遺産30ヶ所を巡れますよ。
世界遺産「マカオ歴史地区」を巡るポイント
マカオは16世紀半ば頃からポルトガルのアジア貿易の拠点となった港町。
19世紀末に清から割譲されてポルトガル領となりましたが、1999年に中国に返還されました。
キリスト教布教の中心であった聖ポール天主堂の建設には、弾圧を逃れてやってきた日本人キリシタン難民も関わっていたとされています。
そんなマカオは22の歴史的建築物と8ヶ所の広場、合計30の構成資産によって「マカオ歴史地区」として世界遺産に登録されています。
世界遺産「マカオ歴史地区」を徒歩で巡るには、マカオ半島を北から南へ下っていくのが鉄板です。
30ヶ所とはいえ、広場には同時に歴史的建築物が建っていることが多いのと、構成資産が隣り合っていることも多いので、実際は15ヶ所ぐらいを巡る感覚です。
ただ17:00〜18:00に最終入場となる歴史的建造物が多いので、17時頃までに最南端にある「バラ広場」「媽閣廟」を目指すスピードで巡っていきます。
マカオ半島の北端から南端までは直線で4.5kmほどと、さほど広いわけではないので、駆け足にならずとも、十分に観光できます。
それでは、マカオ歴史地区へ let’s go!
1:ギア要塞(東望洋炮台, Fortaleza da Guia)
まずは中心部から少し離れた、世界遺産「ギア要塞」へ。
世界遺産「ギア要塞」を構成するギアの灯台とギア教会ですが、入り口の門は9:00〜、教会は10:00〜開くので、9:30頃を目指して向かいます。
ギア要塞は中心部から少し離れているのと、マカオで最も高い所にある砦なので、ギア要塞だけはタクシーで向かうとラクです。
ちなみに滞在先のホテル「ソフィテルマカオアットポンテ16」からは、タクシーで35MOPでした。
ギア要塞は1637〜1638年にかけて建造された、マカオで最も高い所にある砦(標高92m)です。
当初は外敵の防衛のために造られましたが、1865年にはここに灯台が造られ、航海の安全を守っています。
灯台はずんぐりした形とポルトガル風の装飾が印象的です。
灯台は現役で利用されており(内部は非公開)、滞在したホテル「ソフィテルマカオアットポンテ16」からでも、夜になるとその灯りが見えました。
灯台のすぐ隣には、1622年に建てられた小さな教会があります。
簡素な造りですが、内部の壁面には当時の中国の絵画技法で描かれたフレスコ画が残っていて、中国と西洋が合わさった画風は文化の融合を物語っており、一見の価値ありです(内部は撮影禁止)。
その他、砲台や錨も残されています。
ギアの要塞からは、マカオの街を一望でき、中国大陸も遠くに望めます。
2:カモンエス広場(白鴿巢前地, Praça de Luís de Camões)
ギア要塞から歩いて20分ほどの所にあるのが、世界遺産「カモンエス広場」です。
ポルトガルの詩人カモンエスにちなんだ広場名で、公園の奥にはカモンエスの銅像もありますが、公園自体は世界遺産ではありません。
カモンエス広場には気持ちの良い木陰があるので、地元の人々の憩いの場となっていました。
3:カーサ庭園(東方基金會會址, Casa Garden)
カモンエス広場のすぐ右横にあるピンクの建物が、世界遺産「カーサ庭園(カーザ庭園)」です。
当日はイベントの準備中で入れませんでしたが、通常は無料で邸宅内を見学できます。
1770年に建てられた当時は、ポルトガル王室貴族でマカオ保険業の父といわれた富豪の別荘でした。
カモンエス公園もかつてはこの邸宅の庭園の続きだったそう。
邸宅と庭園はその後、東インド会社幹部の私邸を経て、政府の財産となりましたが、1989年に東方基金會財団に買い取られ、現在はその事務局となっています。
4:プロテスタント墓地(舊基督教墳場, Cemitério Protestante)
カーサ庭園の右横にある白い壁の中が、世界遺産「プロテスタント墓地」です。
墓地なので撮影は遠慮しましたが、イギリス人やアメリカ人の宣教師や商人などの墓があります。
入り口には真っ白なモリソン礼拝堂が建っており、内部には聖書の文句「太初有道-はじめに言葉ありき」というステンドグラスがありました。
モリソンはマカオ初来訪したイギリス人宣教師で、聖書を中国語に翻訳した方だそうです。
5:聖アントニオ教会(聖安多尼教堂, Igreja de Santo António)
カモンエス広場前の道を渡った向かい側にあるのが、世界遺産「聖アントニオ教会」です。
訪れた際は修復中でしたが、マカオで最も古い教会のひとつです。
イエズス会が初期の本部を設置した場所で、1565年にマカオで最初に建てられた礼拝堂の跡地に建っています。
内部は撮影禁止でしたが、祭壇の上にはIHSのマークが確かにありました。
ポルトガル軍の大尉であり、軍神、結婚の神として親しまれた聖アントニオを祀っているそう。
かつてポルトガル人が婚礼をよく挙げていた場所で、「花王堂」の名前で親しまれていました。
1638年に建てられて以来3度の火災に遭い、現在の建物は1930年の完成。
庭にある十字架のみが1638年のものです。
6:聖ポール天主堂跡(大三巴牌坊, Ruínas da Antiga Catedral de São Paulo)
11:00頃。
聖アントニオ教会から徒歩5分ほどの所にあるのが、マカオで一番有名であろう世界遺産「聖ポール天主堂跡」です。
1582年に聖アントニオ教会付属の礼拝堂として建てられましたが、1601年の火災で消失。
翌1602年にイエズス会により再建が始まり、30数年の歳月をかけて1640年に完成した聖母教会は、東洋一壮大で美しい教会だったといわれています。
しかし1835年に再度火災に見舞われ、現在はファサード(正面の壁面)と階段壁の一部のみが残ります。
ファサードを見るだけでも、焼失前のスケールの大きさがうかがえます。
2度目の建築には、ポルトガル人だけでなく、長崎を追われた日本人キリスタンたちも加わったといわれています。
ファサードの上の方には
- 菊(日本の象徴)
- IHS(イエズス会の紋章)
- 骸骨(日本人が書いたとされる不自然な漢字とともに)
- 大型船(海の女神という観念はマカオの媽閣廟に通じる)
- 7つの龍の頭をもつ悪魔を踏みつける聖母(この悪魔はキリスト教徒を迫害した徳川家康だとする説も)
など日本人との関係性を含め、意味深いモチーフが多いので、じっくり観察してみると面白いです。
夜の聖ポール天主堂跡
マカオは治安がいいのと、滞在したホテル「ソフィテルマカオアットポンテ16」からは徒歩10分で着くので、夜の聖ポール天主堂跡も見にきてみました。
日中は人も多くて観光遺跡としての印象が強かったのですが、夜は歴史という大きな時の流れをしっとりと感じることができました。
7:ナーチャ廟(哪吒廟, Templo de Na Tcha, junto às Ruínas de São Paulo)
聖ポール天主堂跡の左側にあるのが、世界遺産「ナーチャ廟」です。
中国の暴れ神ナーチャはわんぱくで、孫悟空を相手に大暴れする様が『西遊記』にも登場します。
すぐ左手には展示室があります。
マカオには2つのナーチャ廟があり、いずれも聖ポール天主堂跡周辺にありますが、世界遺産に登録されているのは1888年創建のこちらのナーチャ廟のみです。
ちなみに世界遺産に登録されていない方は、聖ポール天主堂跡の南側にある柿山ナーチャ廟で、言い伝えによると300年前に建てられたそうです。
8:旧城壁(舊城牆遺址, Troço das Antigas Muralhas de Defesa)
ナーチャ廟の左側に隣接している土壁が、世界遺産「旧城壁」です。
ポルトガル人が築いたものが、無造作に残されています。
9:モンテの砦(大炮台, Fortaleza do Monte)
聖ポール天主堂跡の右側の小高い丘の上にあるのが、世界遺産「モンテ」の砦です。
階段をせっせと登ってもいいのですが、小高い丘の左側にある「澳門博物館」のエスカレーターを利用すれば、無料で頂上までラクラク往復できます(月曜休み)。
頂上からはマカオの街並みや中国大陸を一望できます。
お気づきでしょうか。
聖ポール天主堂跡の横の姿がバッチリ肉眼でとらえられます(写真右下)。
ちなみに写真左上の大きな建物が、滞在したホテル「ソフィテルマカオアットポンテ16」です。
モンテの砦は、1617〜1626年にイエズス会の修道士によって、聖ポール天主堂とともに造られました。
外海の攻撃から町を守るための砦で、22門の大砲(レプリカ)が海を睨んでいます。
大砲は海向きの3方向にあって、中国本土に向いていないのは、中国と戦う意志がないことを表していました。
10:イエズス会紀念広場(耶穌會紀念廣場, Largo da Companhia de Jesus)
聖ポール天主堂跡の左右を観光してきましたが、正面、階段下の広場が世界遺産「イエズス会記念広場」です。
ポルトガルと中国の友好の証の銅像があります。
イエズス会記念広場の観光を終えたあたりで、12:00頃。
レストランはどこも人でいっぱいですが、屋台も多いので、食べ歩きしながら先へ進みます。
11:聖ドミニコ教会(玫瑰堂, 板樟堂, Igreja de São Domingos)
イエズス会記念広場から徒歩5分ほどの所にあるのが、世界遺産「聖ドミニコ教会」です。
マカオでよく見かけるクリームイエローの教会で、深緑色のドアや鎧戸とのコントラストが印象的です。
このコロニアル風バロック様式のファサードは「マカオ一美しい」とも称されているほど。
マカオと言えばポルトガルのイメージですが、聖ドミニコ教会はメキシコからやってきたドミニコ修道会のスペイン人修道士3人によって1587年に創建されたもので、大がかりな修復を経て、1997年に再オープンしました。
なぜメキシコの修道会かというと、ポルトガルは、14世紀末から60年ほどスペインに併合された時期があり、その時期にスペイン領メキシコからやってきたのがドミニコ会修道士(スペイン人)だったからです。
修復中で内部は見学できませんでしたが、礼拝堂の内部もパステルイエローで、正面の祭壇には色鮮やかな聖母子像が祀られているそうです。
また祭壇の下方にはドミニコ会の紋章(白と黒の十字架)が、天井にはA.M.(アベ・マリア)の文字を図案化したエンブレムが描かれているとのこと。
12:聖ドミニコ広場(板樟堂前地, Largo do São Domingos)
聖ドミニコ教会前の広場が、世界遺産「聖ドミニコ広場」です。
ポルトガルの名残を感じる、白と黒の石畳み模様が美しいです。
13:盧家屋敷(金玉堂, Casa de Lou Kau)
聖ドミニコ教会のななめ向かいにある、FANCLのお店の角を曲がった道にあるのが、世界遺産「盧家屋敷」です。
聖ドミニコ教会から徒歩1分もかからず到着します。
「おでん屋横丁」といわれる「大堂巷」沿いにあるので、マカオ風おでんのお店がずらりと並んでいる中に、盧家屋敷への入口があります。
盧家屋敷は、両替商などで莫大な富を築いた中国人実業家が1889年に建て、1910年まで住んでいたた建物(修復済)です。
マカオの世界遺産の中では最も新しく、中庭を持つスタイルが出身地である広東省の典型的な住居様式とのこと。
吹き抜け空間も3つある、開放的な造りでした。
満州色ガラスを使ったドアなどは西洋を意識しながらも、いかにも中国らしいパターンの木枠が目をひきます。
灰色れんが造りの2階建の屋敷は、清朝後期の西関(広州)建築様式をベースにポルトガル風の装飾を加え、さらに風水を取り入れた設計になっているそうです。
14:大堂(聖母誕辰主教座堂, Catedral Igreja da Sé)
盧家屋敷から徒歩3分、大堂巷沿いをさらに進むと、突き当たりにあらわれるのが、世界遺産「大堂(カテドラル)」です。
大堂(カテドラル)とあるように、マカオで最も重要なカトリック教会です。
1622年に創建され、日本を含むアジア地区の主教座であったといわれています。
災害などの後、再建を重ね1937年に現在の建物となりました。
外観はグレーで簡素なイメージを受けるのですが、中に入ると、祭壇のステンドグラスの美しさに目を奪われます。
このステンドグラスは水色が多用されていて、まるで海の煌めきを見ているかのような鮮やかさでした。
15:大堂広場(大堂前地, 大廟頂, Largo da Sé)
大堂(カテドラル)の目の前の広場が、世界遺産「大堂広場」です。
十字架と特徴的な噴水があります。
13:30。
ここまでで、ちょうど半分、世界遺産15ヶ所を巡りました。
16:セナド広場(議事亭前地, Largo do Senado)
大堂・大堂広場から徒歩5分。
マカオ半島の街の中心でもある世界遺産「セドナ広場」です。
黒と白の波模様のモザイクの石畳はポルトガルの名残を感じられますが、「黄金のネズミ」や「福」の装飾は中国ですね。
そう、訪れたのは1月上旬だったので、街のあちこちで旧正月(春節)の飾りつけが始まった頃で、宝飾店では「黄金の豚」が販売されていました。
セドナ広場の中央には噴水があり、その噴水にある地球儀には教皇境界線が示されているのですが、飾りで地球儀の上部しか見えませんでした(笑)
ちなみに教皇境界線とは1494年に定められたスペイン・ポルトガル両国の海外領土の境界線のことで、これにより、東方世界はポルトガル、新大陸はスペインが開拓すると決まりました。
17:仁慈堂大楼(仁慈堂大樓, Santa Casa da Misericórdia)
セドナ広場にある白亜の建物が、世界遺産「仁慈堂大楼」です。
民政総署大楼をバックにして、セナド広場の右側に建っています。
1569年にマカオの初代司教が創設したアジア最古の慈善福祉団体、仁慈堂マカオ支部が事務局として所有してきました。
17〜18世紀の文物を展示した仁慈堂博物館や、コロニアル式の美しいテラスなどがあります。
18:三街会館(三街會館, 關帝廟, Pagode Sam Cai Vu Cun)
仁慈堂の反対側にある小路をちょっと入ったところにあるのが、世界遺産「三街会館(関帝廟)」です。
多くの人々が行き交うセドナ広場の裏道に、ひっそりと建っていました。
19:民政総署(民政總署大樓, Edifício do Leal Senado)
再びセナド広場に戻り、正面にある世界遺産「民政総署」へ。
1784年に建てられ、ポルトガル植民地統治の中枢「澳門市政庁」として機能してきました。
その後、数回の改築を重ね、1940年に現在の姿となり、現在は地方自治局として使われています。
階段には美しいアズレージョ。
扇型の扉とアズレージョのコラボも美しいです。
その他、民政総署の図書館には、17世紀から収集された約2万冊の書籍が収められており、ポルトガルのアフリカ・東アジア進出を知る貴重な文献が収められています。
図書館の一角にはポルトガル・コインブラのジョアニア図書館を模したとされる重厚な木造建物もあります。
当日は作業中で、そのエリアは外からしか見学できなかったのですが、確かにジョアニア図書館のミニチュア版という内装で、ジョアニア図書館を生で見たからこそ、その繋がりにわくわくしました。
民政総署の入口左側には、アズレージョ柄のグッズを揃えたお土産ショップもあります。
20:聖オーガスティン広場(聖奧斯定前地崗頂前地, Largo de Santo Agostinho)
民政総署大楼の右側の緩やかな坂道を5分ほど上りきったところにあるのが、世界遺産「聖オーガスティン広場」です。
残りの世界遺産は10ヶ所。
21:ロバート・ホー・トン図書館(何東圖書館, Biblioteca Sir Robert Ho Tung)
坂を上って聖オーガスティン広場の右側にあるオレンジ色の建物が、世界遺産「ロバート・ホー・トン図書館」です。
何東(ロバート・ホー・トン卿)とは、1840年代に香港で実業家として成功を収めた香港の四大一族の一人で、今でも子孫はマカオのカジノ王とのこと。
19世紀(清時代)に建てられたポルトガル人の邸宅を、1918年にロバート・ホー・トンが別荘として購入。
彼の死後は遺言によりマカオ政府に寄贈され、1958年からはマカオ最大の図書館として公開されています。
新しい図書館も併設で増築されており、
内部には庭園やテラス席もある、気持ちのいい図書館でした。
22:聖オーガスティン教会(聖奧斯定教堂, Igreja de Santo Agostinho)
聖オーガスティン広場の左側にあるパールイエローの建物が、世界遺産「聖オーガスティン教会」です。
1591年にスペインのアウグスチノ修道会の修道士によて創建され、ポルトガル人イエズス会に継承されました(現在の建物は1874年に再建されたもの)。
渦巻きの窓飾りをもつファサードが特徴的です。
パールイエローに彩られた内部は広く、どっしりとしたアーチ状の柱列が中央に並んでいます。
23:ドン・ペドロ5世劇場(崗頂劇院, 伯多祿五世劇院, Teatro de Pedro V)
聖オーガスティン教会の向かいにあるミントグリーン色の建物が、世界遺産「ドン・ペドロ5世劇場」です。
1860年、ポルトガル国王ドン・ペドロ5世を記念し、マカオ在住ポルトガル人の共同出資で建てられた、中国初のオペラハウスです。
壮麗なファサードを持つ新古典様式の建物です。
内部は無料で見学でき、タイミングが合えば、練習中の演目・演奏を鑑賞できます。
24:聖ヨセフ修道院および聖堂(聖若瑟修院大樓及聖堂, Seminário e Igreja de São José)
ドン・ペドロ5世劇場前の坂を下り、道沿いを右に右に進むと5分ほどで到着するのが、世界遺産「聖ヨセフ修道院および聖堂」(サン・ジョセ修道院聖堂)です。
もう一つの世界遺産「聖ローレンス教会」の前を一旦通過すると着きます。
静かで、優美で、荘厳な空気に包まれた教会でした。
1728年、イエズス会宣教師の育成を目的として修道院が建てられ、その後1758年に修道院に隣接して教会が建設されました。
ドーム型の天井を持つ教会はマカオでは珍しいのですが、
ドーム天井の中央にはイエズス会の紋章が。
その周りは2列に規則正しく並ぶ天窓があり、差し込む外光で教会は明るさが満ちていました。
祭壇をはじめ、何ヶ所かの柱がねじれ柱なのも特徴的です。
見学を終えて戻ろうと、入口の方を振り返ると、息を飲むほど美しい光のコントラストを目にすることができ、感動しました!
(夕日ではありません。15:00頃で外はまだ明るいです。)
25:聖ローレンス教会(聖老楞佐教堂, 風順堂, Igreja de São Lourenço)
いま来た道を戻り、T字路の右側にあるのが、世界遺産「聖ローレンス教会」です。
1558〜1560年の間に創建され、当初は木造の小さな教会でしたが、数回の改修を経て1803年に再建。
1846年の2度目の再建で、現在の外観と規模が形成されました。
ヤシの木が茂る庭の中にあります。
内部は、白とクリームイエローの壁に、淡いブルーの天井。
白と金色で装飾された梁から吊り下げられたシャンデリア。
規模は小さいですが、優美さで群を抜きます。
キリストの生涯を描いたステンドグラスも美しいです。
26:リラウ広場(亞婆井前地, Largo do Lilau)
聖ローレンス教会の正面側の道を南に5分ほど進んでいくと、こじんまりした広場、世界遺産「リラウ広場」があります。
ガジュマルの大木が鎮座する、心安らぐ場所です。
地元のおばあちゃん達が談笑していました。
「リラウ」とは、ポルトガル語で「山の湧水」という意味だそうです。
ここは昔のマカオの主な水源のひとつで、内港にも近く、ポルトガル人が最も早くから居住した場所だったそう。
ちなみに中国語(広東語)では「亜婆井」と呼ばれており、これも「おばあちゃんの井戸」という意味だそうです。
27:鄭家屋敷(鄭家大家, Casa da Cheang, 旧文華大屋, Casa do Mandarim)- 思想家鄭観応の故居
リラウ広場の目の前のミントグリーンの建物前の小路をちょっと入ると、世界遺産「鄭家屋敷」があります。
1869〜1881年にかけて建てられた、中国近代の著名な思想家の屋敷跡。
総部屋数60以上というマカオで最大規模の住居として知られます。
鄭家が手放してから損傷が進んだ家屋を、政府が8年を費やして修復し、2010年に公開となりました。
鄭家屋敷は伝統的な広東の住居の造りを踏襲しつつ、随所に西洋的なデザイン装飾を取り入れているのが見どころ。
繊細な透かし彫り、優美なランプ、書や壁画など、美術館を見学しているかのようです。
28:港務局(港務局大樓, Quartel dos Mouros)
リラウ広場に戻り、聖ローレンス教会から来た道をさらに5分ほど南下したところにあるクリーム色の建物が、世界遺産「港務局」です。
元はマカオの治安を守るため、インドのゴアから連れてこられたムーア兵の宿舎だったのですが、のちに政府の港務局のイミグレーション部門の事務所となり、現在に至っています。
イスラム様式の装飾が施された回廊が素敵。
29:バラ広場(媽閣廟前地, Largo do Pagode da Barra)
港務局からさらに5分ほど南下した先に広がるのが、世界遺産「バラ広場」です。
17:15に到着。
なんとか目標にしていた時間帯に、最終目的地に着くことができました。
人々の憩いの場となっており、目の前には海が広がります。
30:媽閣廟(Templo de A-Má)
バラ広場にあるのが、遂に30ヶ所目の世界遺産「媽閣廟」です。
マカオという地名の由来にもなった、マカオ最古の中国寺院で、明朝の初期にやってきた漁民によって建てられたといわれています。
入場は17:30までですが、入場さえしていれば18:00まで見学できます。
山の斜面に沿って様々な祠があり、ぐるっと一周できます。
以上、世界遺産「マカオ歴史地区」の構成資産30ヶ所を一日で巡る観光ルートのご紹介でした。
帰りは近くから路線バスが複数運行していますし、街の中心部(セドナ広場)までは、歩いても20分ほどで着きます。
せっかく南の方まで下ってきたので、バスでマカオタワーに行くのもいいですね。
ホテルに戻ったら、足のマッサージは忘れずに(笑)