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世界遺産「平城宮跡」の桜とひな祭と復原されたばかりの第一次大極殿院の東楼

Mami
Mami

こんにちは、SORESEKAこと「それは、世界遺産がきっかけだった。」編集長のMamiです。

 

世界遺産「平城宮跡」にお花見がてら、復原されたばかりの第一次大極殿院の東楼を見に行ってきました。

 

当日は「平城京ひいな節」も開催されていたので、その様子もお届けします。

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世界遺産「平城宮跡」|朱雀門とひな祭

平城宮跡

藤原宮跡」で菜の花と桜を楽しんだ後、「平城宮跡」へ。

数年ぶりにやってきましたが、広い空に包まれたこの平城宮跡歴史公園の雰囲気、やっぱり好きだな〜。

 

南面中央に位置した格式高い正門「朱雀門」(1998年完成)に近づくと、

 

平城京ひいな節

圧巻のお雛様飾りが!

「平城京ひいな節」という、現代の「ひな祭り」の歴史に触れられるイベントが催されていました(2026年2月21日〜4月12日)。

現代の「ひな祭り」のルーツは、遠く奈良時代までさかのぼります。
当時、遣唐使船によってもたらされた異国の文化は、奈良の地で日本独自の美意識と溶け合い、宮中行事である「上巳(じょうし)の節句」――現在の「桃の節句」の原形として整えられていきました。 (公式HPより)

 

顔立ちがそれぞれ異なり、もちろん我が家のお雛様とも違い、また茶道具や牛車も意匠を凝らしたものが多く見応えがあり、古代の華やかな宮廷行事に想いを馳せることができました。

お隣にいたおばあちゃんたちは「最近のお雛さんは、やっぱりお歯黒は少ないな〜」と会話されていて、「昔のお雛様はそうだったのか」という新しい学びも。

 

復原された遣唐使船の前での流し雛

世界遺産「平城宮跡」|第一次大極殿院の大極門と東楼

朱雀門を通って、「第一次大極殿院」へ向かいます。

第一次大極殿院は、平城宮における重要な国家儀礼の場で、写真はその南面にある門です。

 

中央が正門の「大極門」(2022年完成)。

朱雀門よりやや小さい建物ですが、天皇が出御することもあり、朱雀門よりも多くの部材に金具を備え、第一次大極殿に準じる格をもっているとのこと。

 

東楼

そして右側(東側)にあるのが、2026年3月に完成したばかりの「東楼(ひがしろう)」です。

平城京へ遷都された当初には、東楼と西楼はなく、730年頃に増築されたそうです。

 

東楼を大極殿院の中から見た眺め

ちなみに、東楼には2カ所に階段がかけられていますが、登ることはできません。

ボランティアガイドさんに伺ったところ、「発掘調査で掘立柱の跡や柱根が出ているので、柱の位置や太さは忠実に復原されていますが、文献資料を参考に高さを割り出して復原したところ、現代の法律では登ることができない急な角度だったんです」とのことでした。

でも、古代の人々は登っており、天皇主催の宴が2階で催されたと思われる資料も残っているそう。

 

さて、中央の「大極門」を通って、さらに奥に建つ「大極殿」へと向かいます。

世界遺産「平城宮跡」|大極殿

国家儀礼を執り行う天皇だけが入ることが許されたという、一番格式高い「大極殿」(2010年完成)。

建物の裏側から中に入って見学することができます。

 

中に入ると、真新しいわけではないのに清涼感のある香りをほのかに感じたので、ボランティアガイドさんに伺うと、国産のヒノキだけを使用して造営されたとのこと(うひゃ〜)。

中央には鳳凰に守られた高御座(たかみくら)が。

令和天皇の即位の礼が京都御所で行われましたが、TVでこういう高御座をご覧になった方も多いのではないでしょうか(脈々と続く歴史を感じますね)。

 

欄干は、唐の五行思想に基づいた5色の玉で飾られています(現代は七宝焼で再現されていますが、当時は本物の色つき石だったそう)。

そして唐の影響を一番強く受けていた時代なので、皇帝を象徴する黄色が階段側に配置されているとのこと(階段を登る天皇に一番近い色が黄色になるよう配置されています)。

 

これが古代天皇の眺め。

東西約180m、南北約320mもある、この広〜い区画に、韓国の時代劇ドラマのように、上位貴族が並び儀式に臨んだそう。

トップオブザトップの上位貴族は大極門の内側へ、それよりも下位の貴族(とはいえ超エリートには変わりない)は大極門の外側へ並んだそう(お互いにお顔はよく見えませんね)。

 

天井には、淡く可愛らしい蓮の絵柄紋様が。

 

東西南北には四神が描かれています。

ちなみに、こうした内装デザインはすべて文献資料を元にした「想定」復原で、奈良県在住の日本画家・上村淳之さんの一筆書きにより描かれたものだそう(史上初・親子三代で文化勲章を受章された方)。

 

なぜ想定かというと、遷都のたびに主要資材は再利用されるため、平城宮も解体され、平城宮跡から上物が一切なくなったからです。

そして水資源に恵まれた土地だったので、田んぼとしてその後1300年以上の年月が流れるわけですが、田んぼだったおかげで(=家を建てる時のように土を深く掘らなかったおかげで)、発掘調査では良い状態で遺構を見つけることができました。

想定とはいえ、当時は唐の文化を色濃く受けていた時代なので、四神や蓮の花(仏教とのつながり)が選ばれたそうです。

 

気になったのは、ベンガラ塗りされた各柱に大きな縦筋が入っていたこと。

こちらも伺ってみると、「現代の技術であれば木材を縦割れさせない方法がわかっていますが、伝統技能継承の観点から、当時の技術で復原しているため縦割れが発生しています。けれど、縦割れは強度で問題になることはないそうですよ。」とのことでした。

他にも、瓦は、古代の瓦造りの技術を復原した上で、本来なら動かないように下に拭き土(粘土質の土)が施されますが、重量を考慮して、銅線で固定されているそう。

ボランティアガイドさんには色々と教えていただけて、とても有意義な時間でした。

世界遺産「平城宮跡」でお花見

第一次大極殿を後に、最後は第二次大極殿でお花見。

 

「第二次大極殿」から「東区朝堂院」そして「朝集院」があった広大な跡地は、桜並木で囲まれています。

 

お花見をしたり、ピクニックをしたり、バトミントンをしたり、と地元の方々が思い思いの時間を過ごされていました。

 

刻一刻と移り変わる夕日とともに、のんびり歩きながら朱雀門の方へと戻ります。

 

今回は時間がなかったけれど、今度は資料館や遺構展示館、観光交流施設なども巡れるよう、またゆっくりと訪れたいと思います。

 

▼平城宮跡で過去に催されたイベントの様子

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平城宮跡歴史公園で行われた平城京天平祭「天平たなばた祭」の体験レポです。1300年の時を超えて甦った「朱雀門ひろば」へ。