こんにちは、SORESEKAこと「それは、世界遺産がきっかけだった。」編集長のMamiです。
先日、兵庫県・赤穂温泉に宿泊したので、播州赤穂の観光ハイライトをお届けします。
伊和都比売神社
兵庫県・赤穂温泉にある「絶景露天風呂の宿 銀波荘」に宿泊したのですが、銀波荘の目の前には「伊和都比売神社」が建っています。
1000年以上前の『延喜式名帳』にも記載が残る古社とのこと。
もとは海上の岩礁「八丁岩」にあった社を、江戸時代に赤穂藩・浅野長矩が現在の地へ移したと言われています。
明治時代には東郷平八郎はじめ歴代連合艦隊司令長官が参拝したことから、現在も航海安全や大漁の祈願のため参拝に訪れる方が多いそう。
社から瀬戸内への眺めも絶景。
夕日に照らされる鳥居も美しい。
きらきら坂
伊和都比売神社の鳥居下にある階段からだけでなく、神社の脇にある階段からでも海に出られます。
ほんの数メートルですが、その坂の名は「きらきら坂」。
坂の下から見上げると、可愛いタイルが階段を飾っていることに気づきます。
大石名残の松
階段の下には「大石名残の松」が。
大石内蔵助は、赤穂開城後、新浜港より山科の閑居に移ったのですが、その時御崎の巌頭に立つ老松をかえり見つつ名残を惜しんだといわれています。
赤穂御崎の遊歩道
「赤穂御崎の遊歩道」をゆったり歩きながら、夕景を堪能。
日の入りの時刻が近づいてきたので、宿に戻って露天風呂を堪能するぞ〜(銀波荘へは徒歩2〜3分で戻れます)。
朝の伊和都比売神社
翌朝もお散歩がてら再び参拝。
素敵な場所だな〜。
国史跡「赤穂城跡」と「忠臣蔵」
赤穂城といえば「忠臣蔵」で有名。
大石邸長屋門
主君の刃傷による江戸の悲報を伝える早打ちが叩いたのは、大石内蔵助一家が暮らしていた、この「大石邸長屋門」とのこと。
大石神社
赤穂義士を祀っている「大石神社」の参道には、討ち入り姿の義士の石像がずらり。
一体ずつ表情やポーズが異なるリアルな雰囲気がなんだか兵馬俑を彷彿とさせる…と思っていたら、
本当に兵馬俑工芸技術伝承者の方の製作だった。
数日後には義士祭が催されるようで、大石内蔵助役として俳優の内藤剛志さんがパレードに参加されるそう。
本殿の周りには忠臣蔵の絵物語が飾られており、討ち入り準備期間の知らなかったストーリーや、逆に語り継がれている物語と史実との異なる点などを学ぶことができました。
国名勝「旧赤穂城庭園 二の丸庭園」
大規模な池泉を中心とした美しい廻遊式庭園で、奥には舟も浮かんでいました。
国史跡「赤穂城跡」本丸御殿
国史跡「赤穂城跡 本丸御殿」に進むと、観光ガイドボランティア(無料)の方が声をかけてくださり、楽しく分かりやすく見どころを解説して下さいました。
体感ではガイド時間が長すぎることがなかったのも、より好印象。
もしガイドしてもらわなかったら、ただ単に「綺麗な庭だな〜」で終わっていたと思うので、タイミングが合えば案内してもらうことをおすすめします。
例えば、廃藩置県後、ここには赤穂高校が建っていたとのこと。
そして、東京大学が保管していた永井家文書の中で発見された「御殿の間取り図」をもとにして、平成元年(1989)に御殿の間取り復元が行われたそう。
そのため、地面はコンクリートで固められていますが、その場所は何があった場所なのか示されており、当時の畳サイズで仕切られています。
ちなみに、主君・浅野長矩の刃傷による江戸の悲報が伝えられた際、城に残っていた武士たちは赤丸の場所で今後の対応について協議をしていたそう。
また国名勝「旧赤穂城庭園 本丸庭園」は青丸の場所から座って眺めることを想定して造られたものなので、青丸の場所からしゃがんで写真を撮るのがおすすめ。
当時の人々はこうして庭を堪能していたのですね。
写真右端に置かれている岩の方角と、森氏との歴史的繋がりも面白い。
赤穂城の明け渡し後、この地を引き継ぐべく、わずか2万石で入部した森長直。
この森長直は織田信長に仕えた森蘭丸の子孫で、織田信長の家臣だった者たちが森家の再興のために尽力した話や、岩の方角にある故郷・美作を偲んでいる話など。
他にも、池底には割石 ・瓦が幾何学的に敷き詰められた奈良時代のデザインが採用されていることなど、ガイドさんに教えてもらわなければ知らなかったことばかり。
この「あられ石」が貼られているのも貴重だそう。
帰りは「討ち入りそば」を食べて、帰路につきました。
ちなみに「討ち入りそば」は何店舗かで見かけたのですが、お店の方曰く、各店によって具は異なるそうで、地域のいわゆるご当地メニューではないそう。
以上、播州赤穂観光のハイライトをお届けしました。