
今回、奈良県の新しい世界遺産「飛鳥・藤原の宮都」をレンタサイクルで巡る1泊2日の旅をしてきました。
19ある構成資産のうち、いくつ訪れることができたのか。
見所やレンタサイクルの注意点などもまとめていますので、モデルコースとして参考になれば幸いです。
奈良県の新しい世界遺産「飛鳥・藤原の宮都」とは

2026年7月26日に世界遺産に登録された「飛鳥・藤原の宮都」。
19の構成資産から成り、3つの分野で構成されているのですが、その背景を知っていると、より世界遺産巡りの旅が楽しめます。
- 中央集権国家の形成過程を示す「宮殿・官衙跡(かんがいせき)」:飛鳥宮跡や藤原宮跡など5件
- 国家宗教としての仏教寺院の成立を示す「仏教寺院跡」:飛鳥寺跡や大官大寺跡など7件
- 律令による墳制の変化を示す「墳墓」:石舞台古墳やキトラ古墳など7件
710年に現在の奈良市辺りに平城京が築かれる前、それよりも南の飛鳥の地では、飛鳥京や藤原京が築かれていました。
この約120年間の飛鳥時代(592年〜710年)は、東アジアとの文化交流を通じて、律令国家としての日本という国が形成されていった時代です。
飛鳥時代、東アジアへ視線を移すと、隋や唐という強大な国家が、朝鮮半島そして倭国(日本)へと勢力を伸ばそうとしていました。
そのため、律令制度、建築・土木技術、仏教など、東アジアのあらゆる最新の文化・技術を取り入れることで、当時の天皇や豪族は倭国(日本)を強くしていこうとし、本構成資産がそのことを証明しているのです。
以下では、まず3つの分野ごとに見所をご紹介し、後半でレンタサイクルでの回り方(モデルコース)や注意点をまとめていきます。
世界遺産「飛鳥・藤原の宮都」|宮殿・官衙跡の見どころ
飛鳥宮や藤原宮が築かれる前、天皇を中心とした古代国家は誕生していましたが、天皇が替わるたびに都が遷されてきました。
しかも、ここでいう都とは、各地の有力豪族が必要に応じて天皇の住む宮を訪れて政務を行う、というささやかなものでした。
それが、飛鳥宮からは天皇が変わっても宮が「固定化」され、「天皇の住む宮」と「政治を行う宮」が一ヶ所に集まる「宮都」となり、天皇を中心とする中央集権国家の基盤となりました。
そして、人が多く集まるようになり飛鳥京では手狭になったことから、天武天皇の皇后であった持統天皇によって藤原京へと遷都されます。
藤原京では、「天皇の住む内裏」や「政治を行う朝堂院」だけでなく、「儀式を行う大極殿」や「役所」なども集約され、日本で初めて本格的な碁盤の目を取り入れた計画都市となり、律令制度に基づく天皇を中心とした中央集権国家の形成が進められていきます。
飛鳥宮跡(あすかきゅうせき)

南北 約200m、東西 約150m、サッカーグラウンド約4面分の広さ。
これまでは天皇が替わるたびに都が遷されてきましたが、飛鳥宮跡に舒明天皇が宮を築いてからは、約60年間にわたり4つの時期(5代の天皇)の宮殿がほぼ同じ場所に重層的に建て替えられました。

掘り起こすと、「舒明天皇の岡本宮(おかもとのみや)」→「皇極天皇の板蓋宮(いたぶきのみや)」→「斉明天皇の後岡本宮(のち おかもとのみや)」→「天武・持統天皇の浄御原宮(きよみはらのみや)」という歴史の層が重なって見つかるため、現在はこれらを総称して「飛鳥宮跡」と呼んでいます。
皇極天皇(第35代)と斉明天皇(第37代)は同一人物で、中大兄皇子の母親です。一度退位したあと、もう一度天皇に即位したため、2つの名前を持っています。
飛鳥京跡苑地(あすかきょうあとえんち)

飛鳥宮跡のすぐ隣にある、日本最古の本格的な宮廷庭園跡。

雨水も溜まっていないので全体像が分かりにくいですが、噴水や中島がある「観賞用の南池」と、祭祀に使われた「信仰・実用的な北池」の2つの池で構成されているそう。
飛鳥水落遺跡(あすかみずおちいせき)

中大兄皇子(天智天皇)が日本で初めて造った「漏刻(ろうこく)=水時計」があった、日本最古の時間管理施設の跡。
大陸(唐)では「時間を支配するもの=偉大な統治者」と考えられていたことから、中大兄皇子も自分の権威性を示そうとしたのです。
また「大化の改新」を進める中で、役人を効率的に働かせるための勤怠管理(タイムカード)としても活用したそう。

水時計の仕組みは、階段状に4つの大きな水槽を並べ、上から下へと一定の速さで水を落とし、最下段の器に水がたまると、中に浮かべた矢(目盛り)が浮き上がります。
役人がその目盛りを見て時間を計り、鐘や太鼓を鳴らして都の人々に時間を知らせたそう。

施設は、24本の柱で構成される総柱建物で、柱を支えるための礎石も24個存在。
礎石同士を繋ぐように、それこそ地中に梁を組むかのように大きめの石も並び、石の上下の層は版築で盛土を固めているため、非常に強固な構造となっています(地中梁工法)。
酒船石遺跡(さかふねいしいせき)

摩訶不思議な「酒船石」。
長年、何のための巨大石造物なのか分かっていませんでした。

しかし2000年の発掘調査で谷底から「亀形石造物」が発見されたことで、全貌が判明してきました。


亀形石造物は、麓から湧き出る清らかな水を汲み上げ、亀の部分に水を溜める仕組みだったこと、そして学術調査から、ここは飛鳥時代に大規模な土木工事を主導した女帝・斉明天皇による事業と推定できることから、水を用いた国家祭祀遺跡であると考えられるように。
摩訶不思議な酒船石も、水を流して、浮かべた笹舟がどの溝を通るかで政治的な物事を占っていたのではないかと考えられています。
石舞台古墳と酒船石遺跡の特別共通券 650円
藤原宮跡(ふじわらきゅうせき)

「天皇の住まう皇居」と「主要な政治機関」が計画的に集約された宮跡。
710年に平城京へ遷都するまでの、わずか16年と短い歴史ですが、
- 「日本」という国号が初めて使われる
- 701年、文武天皇による日本で最初の本格的な律令法典「大宝律令」が制定される
- 708年、元明天皇により日本最初の流通貨幣とされる「和同開珎」が発行される
など、国の骨格が形作られた重要な場所です。
後の平城京や平安京の都市計画にも大きな影響を与え、平城京に遷都された際は、主要な建物も解体して遷されました。


ちなみに、春に訪れると、桜と菜の花の共演が楽しめます。


そして、秋に訪れると、今回のようにコスモスを楽しむことができます。
世界遺産「飛鳥・藤原の宮都」|仏教寺院跡の見どころ
隋や唐に対抗するため、東アジアから最新の文化・技術を取り入れるようになりましたが、中でも熱心に取り入れられたのが仏教でした。
仏教の是非について、ライバル物部守屋と対立し、「丁未の乱」で勝利した蘇我馬子は特に仏教を擁護していました。
構成資産からは、仏教の容認 → 氏寺の成立 → 国家寺院の成立へと変遷を辿ることができます。
飛鳥寺跡(あすかでらあと)

日本最古の寺院で、蘇我馬子によって、蘇我氏の氏寺として建立されました。
当時は大寺院で、お堂を建てるにも仏像を彫るにも東アジアから伝わった最新技術が使われたため、飛鳥寺には「3つの最古」があります。

1つ目の最古は、ご本尊の飛鳥大仏。
後に火災にあって補修がなされているけれど、右手とお顔の一部は造立当初のものだそう。

そして大仏様が座っておられる台座は造立当時のもので、1400年前からここにあるそう。

2つ目の最古は、礎石。
当時の日本では地中に穴を掘って柱を立てていましたが、礎石の上に柱を立てるという技術が伝わり、柱が腐りにくくなりました。
3つ目の最古は、瓦。
当時の日本では茅葺きや板葺きが一般的でしたが、百済から渡来した職人たちにより瓦を作る技術が伝わり、日本で初めて瓦が誕生しました。
飛鳥寺から出土した瓦は、百済の寺院の蓮の花デザインの瓦とそっくり。
仏教の容認、氏寺の誕生、そして建築革命が詰まったお寺です。
拝観料:500円
橘寺跡(たちばなでらあと)

今回は時間がなく立ち寄れなかったのですが、聖徳太子が生まれた寺であり、日本最古級の尼寺です。
天井画の美しさでも知られています。
山田寺跡(やまだでらあと)


とても広大な寺院跡で、礎石や建物の基壇が残されていました。
川原寺跡(かわらでらあと)

飛鳥寺とともに四大寺院に数えられており、ここも礎石や建物の基壇が残されていました。
天智天皇(中大兄皇子)が、亡き母である斉明天皇のために建立したとされています。
檜隈寺跡(ひのくまでらあと)

渡来系氏族「東漢氏(やまとのあやうじ)」の氏寺と考えられています。

キトラ古墳そばにあり、渡来文化の証が出土していることから、東漢氏は石室内の壁画に描かれた四神や十二支像、天文図などに携わった、高度な知識と絵画技術を持つ職人集団と考えられています。
大官大寺跡(だいかんだいじあと)

現在は広大な田園の中に石碑が立っているだけですが、当時の最高位の国家寺院。
当時はその名の通り巨大な寺院で、飛鳥寺、川原寺、本薬師寺とともに四大寺院に数えられています。
本薬師寺跡(もとやくしじあと)
今回は時間がなく立ち寄れなかったのですが、持統天皇が、夫である天武天皇の病気平癒を願って建立したお寺で、のちに平城京へ移転した「薬師寺」のオリジナルの場所です。
世界遺産「飛鳥・藤原の宮都」|墳墓の見どころ
仏教が伝わる前、天皇や豪族は自らの権威を示すために「巨大古墳」を造営してきました。
しかし、仏教が伝わると、巨大古墳を造る代わりに、自分たちの「氏寺」や「国家寺院」を建立することで権威を示すようになりました。
また、火葬が取り入れられたことで、巨大な石室の必要性もなくなり、墳墓の小型化そして終焉へと繋がっていきます。
石舞台古墳(いしぶたいこふん)

日本の巨石文化の代表、石舞台古墳。
墳丘の盛り土が失われていることで、どうしても剥き出しになった石室の巨石に目がいきがちになりますが、実は「上円下方墳」もしくは「二段築成の方墳」なのはご存知ですか。


発掘調査結果から、7基の小さな古墳を壊した上に造営された「方墳」だったことが分かっています。

引きでみると、復元された一段目の「方形」基壇などが分かりやすいです。
ちなみに、私は石舞台古墳の目の前にあるホテル「ブランシエラ石舞台テラス」に滞在したため、観光客や修学旅行生で賑わう前の静かな時間帯に古代ロマンを満喫できました(→ブランシエラ石舞台テラスの宿泊レポ)。

見学可能な時間帯になったら、石室内へ。
やはり積まれた石は一個一個巨大で、石室空間そのものも広いな〜。
ちなみに、蘇我馬子の墓と考えられていますが、実際に石棺などは発見されておらず(発掘調査時に見つかった加工された石の破片から復元石棺はあります)、この場所でどんな葬送儀礼が行われていたのかは分かっていません。

周囲の濠も巡りながら墳丘の隅に着目すると、盛り土の周囲を美しく飾っていた「貼り石」を目にすることもできます。
石舞台古墳と酒船石遺跡の特別共通券:650円
菖蒲池古墳(しょうぶいけこふん)
今回は時間がなく立ち寄れなかったのですが、家形石棺が縦に2基安置されています。
牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)

古墳時代の終わり頃に造られた形である、三段築成の「八角墳」。
八角形は四方八方を表し、天皇が治める世界を象徴した形とされています。

この牽牛子塚古墳は、飛鳥宮跡や酒船石遺跡でも登場した斉明天皇の墓と考えられています。


世界遺産ではありませんが、牽牛子塚古墳に向かう途中に「岩屋山古墳」があります。
精巧に磨き上げられた切石が美しく積み上げられた横穴式石室で、「舌を巻くほど見事な仕上げ」として考古学界では高く評価されています。
ちなみに24時間いつでも見学できることから、地元の方からはコンビニ古墳とも呼ばれているそう(驚)
天武・持統天皇陵古墳(てんむ・じとうてんのうりょうこふん)
今回は時間がなく目の前を通過しただけなのですが、藤原宮跡や本薬師寺跡でも登場した天武・持統天皇陵古墳も、牽牛子塚古墳と同様に、八角墳です。
中尾山古墳(なかおやまこふん)
今回は時間がなく立ち寄れませんでしたが、高松塚古墳のそばにあります。
藤原宮跡でも触れた「大宝律令」を制定した文武天皇陵と考えられており、中尾山古墳も八角墳です。
キトラ古墳

キトラ古墳は国の特別史跡に、そして内部のキトラ古墳壁画は2019年に国宝に指定されています。
小さな二段の円墳であることから、天皇ではなく、天武天皇の皇子もしくは有力豪族の墓と考えられています。

そして実は、国宝のキトラ古墳壁画は不定期で一般公開されています(抽選)。
記念すべき第1回に当選して天文図・朱雀・白虎などを間近で見ることができたのですが、第41回となる今回は「四神の館」開館10周年記念として初めて3面同時公開されるということで応募し、無事に当選できたので、10年ぶりに古代の壁画を間近で見てきました!
北壁(玄武他)・東壁(青龍他)・南壁(朱雀他)を見学できた第41回の内容は、こちらのブログ記事でまとめています。

壁画の一般公開の時期でなくても、キトラ古墳壁画体験館「四神の館」では、壁画のこと、古墳のこと、東アジアとのつながり、修復保存技術のことなどを楽しく学ぶことができます(入館料 無料)。

高松塚古墳(たかまつづかこふん)

壁画に描かれていた飛鳥美人など、考古学の一大ブームを巻き起こした高松塚古墳。
高松塚古墳の壁画も国宝に指定されています。
周辺が整備工事中だったので引いて写真を撮れなかったのですが、キトラ古墳より大きいものの二段の円墳であることから、やはり天皇ではなく、天武天皇の皇子もしくは有力豪族の墓と考えられています。
ちなみに、高松塚古墳壁画も不定期ですが一般公開されているので(第15回に見学)、興味がある方は公式情報をチェックしてみてください。
1泊2日のレンタサイクルで世界遺産「飛鳥・藤原の宮都」の構成資産をいくつ巡れた?

電動ではない、普通の自転車での1泊2日旅。
19の構成資産のうち、14資産を巡ることができました(1日目に8件、2日目に6件)。
| 資産名 | 訪問 | ||
|---|---|---|---|
| 宮殿・官衙跡 | 1 | 飛鳥宮跡 | ◎ |
| 2 | 飛鳥京跡苑地 | ◎ | |
| 3 | 飛鳥水落遺跡 | ◎ | |
| 4 | 酒船石遺跡 | ◎ | |
| 5 | 藤原宮跡 | ◎ | |
| 仏教寺院跡 | 6 | 飛鳥寺跡 | ◎ |
| 7 | 橘寺跡 | ー | |
| 8 | 山田寺跡 | ◎ | |
| 9 | 川原寺跡 | ◎ | |
| 10 | 檜隈寺跡 | ◎ | |
| 11 | 大官大寺跡 | ◎ | |
| 12 | 本薬師寺跡 | ー | |
| 墳墓 | 13 | 石舞台古墳 | ◎ |
| 14 | 菖蒲池古墳 | ー | |
| 15 | 牽牛子塚古墳 | ◎ | |
| 16 | 天武・持統天皇陵古墳 | ー | |
| 17 | 中尾山古墳 | ー | |
| 18 | キトラ古墳 | ◎ | |
| 19 | 高松塚古墳 | ◎ |
世界遺産「飛鳥・藤原の宮都」への行き方・アクセス

世界遺産「飛鳥・藤原の宮都」を巡る際は、どういうコースで巡るかによりますが、近鉄橿原線の次の3つの駅が基点となります。
- 大和八木駅
- 橿原神宮前駅
- 飛鳥駅
明日香村は駐車場が限られており、主要な駐車場は完全予約制に移行しています。
また、そもそも車では進めない遺跡エリアもあるため、公共交通機関での来訪を推奨しており、明日香周遊バス「赤かめバス」やレンタサイクルで、のどかな風景を楽しみながら巡るのが定番です。
何度でも乗り降りできる観光向けのお得な交通パスも各社から発売されているので、電車やバスの利用予定回数によってはチェックされてみてはいかがでしょうか。
家族やグループで巡るなら、貸切観光タクシーも一つの方法です。
自転車ほど小回りはききませんが、主要な名所・遺跡を巡るなら、本数が少ないバスよりも融通がききます。
世界遺産「飛鳥・藤原の宮都」のモデルコース

交通手段や滞在可能時間、そして旅のテーマによっておすすめのモデルコースは変わりますが、私の場合は見学時間が決まっているキトラ古墳壁画の特別公開を中心に、19ある構成資産をできるだけ多く巡りたいと旅の計画を立てました。
石舞台古墳の目の前にあるホテル「ブランシエラ石舞台テラス」に宿泊したため
- バスでホテルまで向かい荷物を預ける(赤かめバスは1時間に1本程度なので、バスの時間に合わせて降りる近鉄の駅を決定)
- ホテル真横の明日香レンタサイクル(石舞台営業所)で自転車を借りる
- 1日目は石舞台古墳の北側を巡る
- 2日目は石舞台古墳の西側を巡りつつ、キトラ古墳壁画の特別公開も見学
- 同レンタルサイクルの(飛鳥駅前営業所)で自転車を返却
飛鳥観光協会の公式HPには様々なモデルコースや地図(PDF)が用意されていたので、自分に合ったコースを考える際の参考になりました。
実体験から世界遺産「飛鳥・藤原の宮都」をレンタサイクルで巡る時の注意点

滞在したホテルの真横にあったレンタサイクル店で電動自転車を借りるつもりで立ち寄ると、「修学旅行生に随伴している先生たちに貸し出していて、電動は一台も残っていない」と言われました。
なんとー!駅前の大きな店舗ではなかったから台数が少なかったのかもしれませんが、学校の先生たちは盲点でした。
しかし、バスの本数は多くないし、お天気はいいので、普通の自転車を借りた結果、本当に、本当に、本当に大変でした。。。

自転車だと小回りがきくのはいいのですが、明日香村は山や丘に囲まれた小さな盆地(飛鳥盆地)に位置しているため、坂道が半端ない!
しかも数々の古墳は山や丘の上に造営されているので、さらに上まで登り続けないといけない。

北側だけ開けているので、北上する分には下り坂が多くラクなのですが、東・南・西の三方は山に囲まれているため、石舞台古墳も、キトラ古墳も、牽牛子塚古墳も、とにかく自転車を押しながら坂道を登っていくことに。
電動自転車でないと自分の脚力頼みなので、翌日は筋肉痛だし、サドルに座るとお尻も痛いし。。。
キトラ古墳に行くときは本当にツラくて、車や電動自転車に追い抜かれながら、30分くらい自転車を押し続けて丘の上まで登りました。
この私の実体験から、「電動」自転車を「事前予約」しておくことを強く推奨します!
私たちの後のご夫婦は予約来店されたので、電動を借りていかれました。
修学旅行に随伴する先生たちを失念していましたが、電動の自転車であれば、もっとラクに、そしてもっと多くの構成資産を巡れたと思います。
以上、長文となりましたが、1泊2日で世界遺産「飛鳥・藤原の宮都」をレンタサイクルで巡る旅が参考になれば幸いです。
▼世界遺産「石舞台古墳」の目の前にある、大人旅に向いているホテル「ブランシエラ石舞台テラス」

▼第41回 国宝 キトラ古墳壁画 3面同時公開

