こんにちは、SORESEKAこと「それは、世界遺産がきっかけだった。」編集長のMamiです。
この記事では、京都にある世界遺産「龍安寺」をご紹介します。
京都にある世界遺産「龍安寺」とは
世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産の一つである龍安寺。
その創建は宝徳2年(1450年)、足利将軍の管領職にあった細川勝元が、徳大寺家(日本の公家、藤原氏北家閑院流)の別荘を譲り受け、禅寺に改めたもの。
まもなく応仁の乱で消失してしまいますが、明応8年(1499年)、勝元の実子である細川政元によって再興されました。
山門を抜けて道なりに進むと、石段が現れます。
この石段の先に庫裡(くり)が建っており、方丈に繋がっています。
禅宗寺院建築の簡素にして、重厚な雰囲気。
木組と白壁の調和が美しいです。
龍安寺の見どころ!謎に包まれた石庭
そんな龍安寺の見どころといえば、方丈の前にある「石庭」です。
1499年、細川政元によって再興されたときに方丈が建立され、石庭もこの時に築造されたと伝えられていますが、作庭者は謎のまま。
東西25メートル、南北10メートルの空間に白砂が敷き詰められ、15個の石が配されています。
(写真ではお伝えしきれませんが、方丈から見て左、東側から5・2・3・2・3と配置されています)
一見すると水平に見える石庭ですが、実は東南角(方丈から見て左奥)に向かって低くすることで、排水の工夫が施されているそう。
また西側(方丈から見て右)にある塀は、奥に向かって低くなるように設計されており、鑑賞者の錯覚を生み出しているそう。
この石庭の意味は謎に包まれており、見る人の自由な解釈に委ねられています。
そんな石庭は菜種油を混ぜた土で造られた「油土壁」によって囲まれ、経年による油の変化が独特な風合いを醸し出しています。
謎解きしよう!龍安寺のつくばい
当時の方丈は、寛政9年(1797年)の火災によって焼失。
現在の方丈は、織田信長の弟である信包(のぶかね)によって建立された、塔頭・西源院の方丈を移築したものとのこと。
方丈は一周することができ、水戸光圀公の寄進のものとされる「銭形のつくばい」(模型)も見ることができます。
中心の「口」を共用することで、時計回りに「吾唯足知(吾 唯だ 足ることを 知る)」と読むことができます。
禅の格言「知足(ちそく)」を謎解きに図案化されたつくばいです。
藤原時代の美しい姿がそのまま!龍安寺の鏡容池
順路に従い従い一周すると、最後は池に辿り着きます。
鏡容池(きょうようち)は徳大寺家によって築かれたもので、当時はお公家さんが舟遊びをしていたという文献が残っているそう。
また、かつては石庭よりもオシドリの名所として有名で、「おしどり池」とも呼ばれたそう。
当日も鴨の親子が羽を休めている姿を見ることができました。
池の堤防から眺められる龍安寺の全景は、藤原時代そのままの美しい姿を保っています。
龍安寺へのアクセス
- 電車の場合:京福電鉄「龍安寺駅」より徒歩7分
- バスの場合:京都駅から市バス50番系統「立命館大学前」より徒歩7分
- 駐車場:拝観者に限り1時間無料
龍安寺の近くには、
が集まっているので、ぜひ京都の世界遺産めぐりを合わせて楽しんでください。